協生農法がもたらす見えざる「七分の理」
未来世代から資源を奪い続けないために
このようなテーマで原人が対談している記事がある。
物事を時間的スケールで捉える考え方、人類の役割、など原人らしい対談になっている。
関心ある読者は是非、目を通していただきたい。
部分抜粋・・・
食料が少なくなると、人間社会の秩序が保てなくなります。いっそゼロなら盗むことはできませんが、少ないから略奪が起きる。実際は食料が足りていても、自活する術を知らないと人は恐怖から暴力に走ります。ブルキナファソの砂漠化地域では、そうした資源を奪い合うような状況が起きていたので、協生農法の理論と現地の根本的なニーズを合わせて、自活力の強化と環境回復を両立するようなエコシステムを構築したのです。
・・・・・・
砂漠化からの回復と言っても、協生農法は元の生態系に戻す環境保全とは発想が異なります。地下水の涵養や微生物の活動により、さまざまな植物が多様性を持って育ちますが、生態系機能が健全に発揮されることが本質であり、種の構成は必ずしも以前と同じになるとは限りません。人体に傷ができたら、同じ組織の細胞が再生して元通りになります。しかし、自然の生態系では、種は入れ替わりつつも、多様性に支えられた水循環や土壌機能を保って行くのです。
ブルキナファソでまず行ったのは、一口に言えば50年後にどういう生態系にしたいかということをデザインすることでした。生態系の機能、そこから生じる生態系サービスをどのレベルで達成するかを決めるのです。そこからブレークダウンしていき、気候変動に際して食料生産を安定化するにはどのくらいの種多様性が必要なのか、マメ科の植物はこれくらい必要ですね、穀類は地産地消レベルでこれくらい植えましょうと見積もって行きます。それに家畜は何を何頭飼育しましょう、井戸の掘削、雨水を貯めるタンクの準備など具体的なことと組み合わせていきます。重要なことは、生態系と人間の暮らしがかみ合った形で、どの方向に全体を持っていくかです。
・・・・・・
現行の社会体制の中での組織の運営だけで良しとしていては、残りの七分の理が見えません。自然とは何か、生態系は今後どのような変化をして行くのか、人間と自然環境との接点とはどのようにあるべきかということをポジティブ、ネガティブの両方に自由度を持って考える場として、食料生産というものが、最も重要な基盤の1つであると考えています。今後もこのような活動を通じて、広く文明・社会に貢献していきたいと思っています。
原人に・・ 激励のクリック