セントヘレナ・トカラ ・・
ナポレオンの名言・・
「我輩の辞書には不可能の文字はない」
本人が言ったかどうか知らないが、気持ちはわからないでもない。
不可能と言えばあきらめ、それで終わりなのだから言いたくもないだろう。
お野人もナポちゃんと同じ・・
そもそも辞書持ってないからその文字もない
頭に「不思議」は存在しないのだが、「不思議」でブログ内検索すると、その言葉を含む記事が百件も出て来た。
使い方は・・
「決して不思議なことではない」・・が多いが
「人生って・・不思議なものですね」・・も多い。
思考に「不思議」はなくとも、言葉は結構使ってる
そもそも子供の頃から「不思議」と思うことがなかった。
そう思う前に、「何故」「何でじゃ~
バカタレ」が出て来るから、すぐに思考に突入する。
わからないことはわかるまで考え調べる、これが思考の根底にあるからだ。
だから小学生なのに幽霊の足を調べに木刀持って深夜に墓場まで出向いたのだろう。
足を払って確かめるだけで幽霊に対して悪意はなく、何で立てるのか本人に聞くのが早いからだ。
何日も考え続けると、「努力家」とか「根性がある」とか言われたが、一攫千金、一網打尽、狩猟民族のお野人には努力も根性も無縁で苦手。
そのおかげ横丁で、自然界で起こる現実の仕組み、特に生命・意識に関しては世界の常識よりはるかに多く解明出来た。
まだわからない課題もあるが、大概のことは答えられる。
物理思考故に現状では「不可能」と言う言葉も出る。
ただそれで決着ではなく、常に可能にする活路を見出そうとしている。
不可能を可能にすることほど面白いことはない。
野人を鍛えた故川上源一の言葉「1%の可能性」をこじ開けろ・・も同様の意味だ。
現社会では、国によって違うが知識だけでなく考え方、意識の在り方まで習う。
礼儀作法、モラル、それなしでは社会生活が難しいこともあるが、知識同様に時代と共に移り変わる。
知識を習うと言うことは諸刃の剣であり、間違えばリスクも共に受ける。
最終的な選択はその人次第だが、習い続けることが学問の常なら判断も困難、物理さえも感性で選ぶしかなくなる。
考えてもわからないことを不思議と言うなら、健康に関する常識は不思議だらけだ。
実践して半世紀経っても結果は悪化するばかり。
不思議・・と思わないほうがおかしいのではないかな。
人間が作った道理なのだから、結果が出なければ人間が間違えたとは考えないのかな。
あれが体に悪い、これが良い、生活習慣と言っても、一向に病不調が激減・消滅することもない。
禁煙、減塩、減脂肪、栄養バランス、適度な運動など、徹底して実践している人が多いにもかかわらず、何故肺癌・胃がんになり、高血圧、糖尿病がなくならないのか。
言い出した人やそれを継承して進める人が修正しなければ自分で考えるしかないと思うのだが・・
それでも他力本願で自らの運命を人任せにするのか・・
最近、何人かの読者記事を訪問、自ら考えて地道に病を治そうと工夫して頑張っている姿には胸を打たれる。
その人達にエールを送りたくて今日の記事を書いた。
お野人・・最近 目と心臓がやや不調
理論は理論、どうするかは自由・・とは言っても
ちょいと真面目に理論実践してみるかな。
むー母にもそうしたように
むー塩 毎日 舐めよう・・むー茶も
自然界にはない人間界の不思議
https://ameblo.jp/muu8/entry-12028469085.html
見える世界と見えない世界
https://ameblo.jp/muu8/entry-11283751720.html
考える力とは
https://ameblo.jp/muu8/entry-11283751720.html